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ナショナルアンセム  0007  【頂いたコメント】

古い日記を整理していたら、こんな言葉が残っていた。

●黒沢清監督から直接貰った言葉、

『「ナショナルアンセム」はよく撮ったよ。君は自分の才能に自信を持って良いと思うよ』

●中原昌也さんから貰ったメール、

『いきなりですが『ナショナル・アンセム』傑作ですね!凄く面白かったです。才能ありますよ、西尾さんは!』

ビックリして「厳しい意見も下さい」と返事

『これはわざわざ僕が言わなくとも自覚されてるんでしょうが、
黒沢清テイストが強すぎるところが気になります…。
群像劇という意味ではエドワード・ヤンの「恐怖分子」を
ちょっと思い出させはしましたが…やっぱり黒沢節ですね!
後半になるにしたがって何か初期の黒沢さんの映画っぽくなってるし。
いや、それでもなかなかよく出来てるし、すごく才能を感じましたよ。
自主でここまで出来れば大したものです(確かに音声の同録とアフレコにバラつきを感じますが)。
僕に言われなくても、黒沢さんテイストを徐々に消していく作品を作って行くのだろうと思います。』

 
『ナショナルアンセムは』完成から1年間、誰からも評価されなかった。
映画祭も予選で落選しまくった。
諦めかけた。もう駄目だ。


その1年後、黒沢さんと中原さんから貰った言葉は、
それから何年間も、僕を走らせている。

自分が大切に思っている人から貰う評価の言葉は、
若いクリエイターを数年間走らせるガソリンになる。

僕はまだ、あと数年は走れそうだ。
しかも今回の上映で高橋さんに選んで頂いた事で、また新しいガソリンを注入できた。

残るは9日(水)の上映のみである。
是非、ご覧頂きたい。

ご覧になった方の感想(mixi)

(西尾孔志)

次は【→0008】

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ここまでのおはなし
0001【はじまり】
0002【ミュージカル】
0003【暴動】
0004【卒業】
0005【カリスマ=T橋とK沢】
0006【最後の上映】
高橋洋監督の感想
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作品内容はこちら

コメント (5)

西尾:

あ、間違えました

投稿者は西尾

タイトルが「島田元さま」です。

島田元さま:

ありがとうございます!
また是非、ご覧頂きたく思います!
宜しくお願いします。

拝見しました。
冒頭付近の自転車の疾走を捉えた鮮やかなカットから暴力的なトラックの登場へのつながりや、一連の風呂場のシーンなど、印象深い箇所がいくつもありました。看護婦のアップなどにも力を感じました。
ただし、自分にはちょっと長すぎました。
別の作品も拝見できる機会があれば、行ってみたいと思います。

西尾:

ikw様

ゴダールでも
高橋監督の「夜は千の目を持つ」でも
物語と分断されたように唐突にフッと映し出される女の顔に
心惹かれます。

スクリーンに風が吹くような。

女の子の顔を撮りたい欲望は、映画史をなぞりたい欲望と、僕にとって同じなのかも知れません。

ありがとうございます!

西尾

ikw:

『ナショナルアンセム』には50人近い人が出演しているという。
とにかく、新たな登場人物が次々と出てきて、顔がおぼえきれない。
今、画面に映っているこの人は、前のあのシーンに出ていた人と同じ人なのかな?
なんて考えながら見てしまうから、
あらすじも何が何だか分からなくなってしまう。
でも、なぜだか見入ってしまう。
ずっと見続けていたいと思ってしまう。
それはなぜなのか?

映画が始まってすぐ、
自転車の後ろに立った姿勢で乗っている女の子がちらっと後ろをふりかえる。
その一瞬見えた顔に、おや?と思ってしまう。
何だか気になる顔だ。

次にその子が登場するのは病院で、
診察室にしてはやたらと広い部屋の真ん中に置かれたオフィスチェアに座っている。
さっき「女の子」と書いてしまったのは、髪を二つに結んでいる様が子どもっぽく見えたからで、
本当はもうちょっと年は上なのかもしれない。
とにかく印象的なのは目だ。
ちょっとつりあがった大きな目、アーモンドを連想させる目で、
モジリアニなら、彼女をモデルにして絵を描きたくなるだろうな、などと思ってしまう。

あとになって、「まち子」とひとから呼ばれるその子は、
膝の上に行儀よく手を置いているのだけれど、
オフィスチェアをだらしなく回転させながら、そっと小声で話しだす。
「伝染病なんですよね……そのうち、町に広まって……死んでしまう、みんな……」
まち子はそこまで言うと、前をじっと見つめる。
画面には映っていないけれど、彼女の正面に医者がいるのだろうか。
そんなことを思っていると、
ふいにまち子の背後のドアが開き、医者が入ってくる。
さっきまで誰かいるように感じられた画面外の空間には誰もいなかったのだ。

イスに座った医者はまち子にいろいろと話しかけるが、
まち子は何も答えない。
ただそれだけのカットなのに、
私たちはまち子のことをあっという間に理解してしまう。
彼女が心を病んでいることを。
心を病んでいるのを自覚してはいるが、
自分にとり憑いた妄想を追い払えないでいることを。

この時点で、私はまち子の顔にかなり心を奪われてしまっている。
カメラはもうちょっと彼女の顔に寄った方がいいんじゃないか、
などと考えだすようになってしまっている。
すると、姉と住むアパートのシーンで、まち子の横顔がアップになる。
画面の左半分にまち子の横顔が大きく映り、
右半分の空間の奥の方に彼女の姉が立っているという大胆な構図。
だが、見ているうちに、
面白いけれど、これは、ちょっと、と思ってしまう。
まち子の口もとが映っていないことが気になるのだ。
あのアーモンドのような大きな目は、小さな口もととの対比で生きてくるのではないか……、と。

ところが、その後の川原のシーン。
まち子は姉がこぐ自転車の後ろからふいに降りると、
土手を駆け下りていく。
その姿をカメラは土手の上からじっと動かずに撮り続ける。
まち子の姿がどんどん小さくなり……、
鉄橋を支える柱の後ろに隠れて見えなくなるのだけれど……、
しばらくすると、柱の後ろから姿を現し、こっちに向かって駆けてくる。
そうして、すぐ近くまで来ると、まち子はカメラをまっすぐに見つめて告げる。
「あそこで誰か死んでいる……」

このとき、私は、おお……と声が出そうになってしまった。
まち子の顔を間近で見たいという欲望が、こんな形で実現してしまうとは。
リュミエール兄弟の『列車の到着』を初めて見た人たちは、ひどく興奮したというが、
まち子が土手を駆け上がり、こっちに迫ってくるときに私が感じた興奮は、
それと同じくらい強かったんじゃないのか、
などと思ってしまった(こりゃ、言い過ぎですね)。

この川原のシーン以後、
まち子の顔を正面から撮ったカットが映画の中に何度も出てくるのだけれど、
とにかく、どのアップもいつまでも見続けていたいと思うくらい、魅力的だ。
(特に浴室でのまち子の顔のアップは素晴らしい)

女優の顔をどうやって撮ったらいいか。
監督はそのことでずいぶんと試行錯誤したのかもしれないけれど、
『ナショナルアンセム』の素晴らしさは、その試行錯誤を観客である私たちも追体験できるところにあるような気がした。

(感想、長くなってしまいました。
続きは書けたら、書きます)

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