■ 「『空の飴色』について(3)」として(浅野学志)

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かつて、『空の飴色』制作の経緯を語りはじめようとしたまま、止めてしまったことがある。
いまさらその続きを、ということではないのだが、上映前に少しだけお話させていただきたい。

新谷尚之さんの作品解説では「サスペンスドラマ」と書かれているのだが、実は自分自身、企画段階から完成まで、この映画がそのように呼ばれようとは考えもしなかった。
サスペンスと呼ばれることを拒むつもりはまったくないが、私はこの映画で「メロドラマ」「愛憎劇」を撮りたかっただけなのである。

企画は2003年の夏にはじまった。
漠然としたプロットをもとにロケハンを行い、役者さん(とはいえ、みなさん素人)とスタッフを集めて撮影に入ったのが冬の12月。
ほとんどが即興撮影のため、原則として台詞はない(結果として、編集の自由度が確保されて助かったのだが)。撮影現場では、役者さんにどう動きをつけるかのみ考え、指示していた。
3月に撮影を終えたが、完成への見通しは暗かった。私の手元にあるのは、映像の断片としかいえないものばかりだったのである。

作品のクレジット上、私は「監督・脚本・撮影」であるが、「編集」も行った。このときの編集作業は、自分の作品にも関わらず「物語の謎を探し当てる」ような体験だったと思う。
粗編集を終え、「何かが足りない」と感じたまま、編集は長期間中断した。

2004年の冬、とくに当てもないまま一人で伊豆大島に向かい、三原山の自然などを撮影してみた。結果、伊豆大島で撮った映像はすべて無駄になったのだが、帰途のフェリーで偶然撮影した映像は使うことになった。それが、夕焼けの空を横切る飛行機の姿である。

2005年の春、編集を再開。6月、同年の映画美学校映画祭に出品を申し込み、自分にプレッシャーを与えてみた。
ナレーションを入れてみようと考えたのは7月下旬くらい。どのような声にするのか迷ったが、結局、美学校同期生の遠山智子さん(『アカイヒト』監督)に声をかけた。
最後の最後で字幕を加えてみたのだが、蛇足だったかもしれない。恥ずかしながら、私がかつてスタッフとして参加した井川耕一郎監督の『寝耳に水』(2000年)の影響でもある。

ここでスタッフについても少し触れておきたい。
今回の上映作品に関係するスタッフでは、まず「語り」の遠山さんをはじめ、助監督として浦井崇くん(『狂気の海』出演)と松村浩行くん(『YESMAN/NOMAN/MORE YESMAN』監督)に、「語りの録音」では宮田啓治くん(『山嵐』監督)に協力してもらっている。
そのほかのスタッフ・キャストも、皆とても信頼できる友人たちであり、幸せな現場であったとつくづく感じている。
『空の飴色』が何かのアンサームービーというならば、『赤い激流』というよりも、美学校で出会った友人・講師に対する回答というほうが正しいのかもしれない。
この上映で、少しは借りを返すことができただろうか。

たかだか35分程度の作品とはいえ、ほぼ2年間を費やすことになった。この年齢になって「成長」というのも気恥ずかしいが、その間の自分の感情のゆるやかな変化が、作品のラストに表れたようにも感じている。(当初のラストはあの場面ではなかった。)

さて、この作品の完成から約3年の月日が流れてしまった。
私はしばらく映画の現場に戻れない状況にあるが、いつかまた、新たな作品を携えて現れたいと思っている。
そう、「この世界の中へ」。(浅野学志)
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