■ 『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』ノート #4(松村浩行)

200807021149000.jpgご覧くださる方と、ご覧くださった方のために!

この映画はある意味、一に山登り、二に大工仕事の映画だったと思う。
おもな撮影場所は奥多摩の山小屋と都内のビルの地下につくった部屋のセット。
まず山の部分を撮ってから、十日ほど間を置いて、セットでの撮影に臨んだ。
 奥多摩の一杯水避難小屋には、結局何回足を運んだのだろうか。
奥多摩駅から数十分バスに揺られ、そこからたっぷり三時間、険しい山道を歩く。小屋には電気も水道もない。
わずか二、三日の撮影だが、全員に必要な飲み水、食料、酒類を当日機材とともに運び上げるのは到底不可能だった。
そこで本番の一週間ほど前に重たい水や酒を担いで上がり、山小屋の裏手に埋めることにしたのだが、出発の前の晩、
明日持って行くはずの角瓶を数人であらかた空けてしまい、それでも死にたくなるような二日酔いのまま荷物を背負って、三時間歩いた。
 山での撮影はゴールデン・ウィークにおこなったので、一般の登山客も少なくなかった。
これほど人止めが似つかわしくないロケーションもないかと思うが、その都度スタッフが協力して、平身低頭、対処してくれた。
とはいえ、下山前にふと小屋の利用者が自由に書き込めるノートを覗いてみたら、「まったく映画屋の奴らのやることといったら!」というような手厳しい書き込みに出くわし、感じ入りつつ黙って閉じた。
 撮影中、渋谷哲也さんと宮武嘉昭さんがそれぞれ陣中見舞いに来てくれたのも忘れられない。
取り分け宮武さん(キャメラマンで映画美学校時代の僕らの先生でもある)は、もうとっぷり日が暮れて、
さすがの宮武さんも今日はもう来ないだろうと誰もが確信した頃、「いやー、すっかり道間違えちゃった!」と、
まるで緊迫感に欠く声音を響かせ、当り前のように暗闇から現われた。
僕らが映画を撮る時、宮武さんはいつも決まってこんな調子で登場したものだ。 部屋のセットを組んだのは江古田教会の地下室。
もともとカステラ工場だったという建物で、天井の高い大きな地下室が物置き代わりに使われていた。
紹介してくれたのは美学校で同期の福原まみさん。
共産主義者の戯曲に基づく映画を教会で撮影することの理不尽さに教会サイドが目覚めてくれなければいいがと思っていたが、
無論それも杞憂に終わり、江古田教会の皆さんには最後までお世話になり通しだった。
 セットの設計と施工を担当してくれたのはやはり美学校で同期の尾崎淳一君。
サイレント映画で見るような、天井のない、三面の壁に囲まれただけの古ぼけた部屋のセットと、
一幕物の室内劇を上演するような、自然主義的でありながらもどこか抽象的な舞台装置との奇妙な混淆をイメージしていたのだが、
そのアイディアから尾崎君が紙でミニチュアのモデルをつくってくれ、それをもとに具体的な設計を検討した。
 実際のセット組みは尾崎君と助手の四方智子さん(やはり美学校の同期生)を中心に、スタッフ皆の協力を得て、コツコツと進めた。壁紙を貼ってくれたのは制作の柴野淳君の旧友である職人さん。
新築同様に美しく仕上げてくれたのだが、さすがにそのままだと真新しすぎるので、汚しを入念にやった。
窓にかかったカーテンなどの細部は、本作のキャメラである秋元エマさんの仕事が光っている。
 映画では屋外も映るのだが、外側を別につくる余裕がなかったので、室内のシーンをすべて撮り終えてからセットをつくり替え、部屋の壁を塗り替えて外壁に変身させた。
 もう時効だと思うのだが、年季の入った木製のドアは取り壊しが決まっていた池袋の築四十年だか五十年だかのアパートの共同便所のドアを、僕と柴野君が夜忍び込んで失敬してきたもの。
「タンスと二人の男」よろしく、二人でドアを担いで、柴野君の部屋までえっちらおっちら運んだのを憶えている。
 セットを使った撮影は初めてだったが、舞台上の上演を映画的に分割し、記録していくようなプロセスは喜びであった。あのセットは、ある種の人工性・抽象性と生身の肉体が共存し・拮抗する場であった。
 四回に渡って書いてきたこのノートを終えるにあたって、ともに作品をつくったスタッフの名を列記したい。主要な職分を記したが、皆が与えてくれたものの豊かさはとてもそれに収まらない。
 撮影は秋元エマさん。照明は大城宏之君、葛生賢君。録音は菅沼俊輔君、宮田啓治君。美術は尾崎淳一君、四方智子さん。衣装は居原田眞美さん。助監督は石住武史君。制作は柴野淳君、上村久美さん。
 そして独語監修に渋谷哲也さん。渋谷さんには準備段階からたくさんの有用な教示をいただき、また、この映画にとって大切な方々を紹介していただいた。改めて感謝したい。
 最後になったが、この映画の編集に協力してくれたのは、他ならぬ当サイトの管理人を務めておられる近藤聖治氏である。
動かしているマウスがマウスパッドから落ちそうになったらどう対処すべきかさえ知らない(!)僕のために、長時間に渡るオペレーションを完遂してくれた。
しかもワールドカップの重要な試合を少なからず犠牲にして。その知恵と技術と忍耐がなければ、この映画は完成しなかった。本当にありがとう。
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